お笑い界の大御所、明石家さんまさん。
長年第一線でご活躍され、TVで見ない日はないですよね!
明るく誰からも好かれる明石家さんまさんですが「実は壮絶な過去を持っていた?」との噂が!
さっそく、明石家さんまさんの「生い立ち」や「家族」について調査しました!
明石家さんまの家族構成
1955年7月1日、和歌山県東牟婁郡古座町(現・串本町)生まれで、両親と兄の4人家族。
明石家さんまさんが2歳10か月のときに母親が他界し、小学校高学年のときに父親が再婚しています。
このとき、継母には連れ子がいて5人家族となりました。
明石家さんまの生い立ち!
本名は杉本高文(すぎもとたかふみ)。
実家は、さんまの干物などを生産する小さな水産加工会社「杉音食品」を営んでいました。
実は、芸名・明石家さんまの「さんま」は実家の会社が由来しているんです!
明石家さんまさんが生まれた半年後、家庭の事情で奈良県奈良市奈良阪町へと移り住むことに。
奈良へ移り住んでから母・つぎ代さんの体調が崩れ、明石家さんまさんが2歳10か月のときに他界。
まだ幼かった明石家さんまさんは、母の顔も覚えておらず、お葬式の日に飼い犬に噛まれた腕の傷だけが母を唯一思い出せるものなんだそう。
明石家さんまさんが幼少の頃、実母を亡くしたのは有名な話だけど、葬式の日に、大人しかった飼い犬が自分を噛んだ事を覚えているといい、その傷は今も残るという話は初めて訊いた。
「なんか母親が、“私を忘れないで”って残してくれたような気がして……」
— あきらっくす@ライジング (@akirax_rising80) July 8, 2018
物覚えもつかない頃に母親との別れがあったなんて、辛すぎますね…。
芸能界での明るい明石家さんまさんからは想像できない、淋しさを抱えた幼少期を過ごしていたのですね。
継母からのイジメ
明石家さんまさんが小学校4年生のときに再婚してやってきた継母・すみ江さん。
連れ子の正登さんのみを可愛がり、明石家さんまさんはと実兄は可愛がられることはなかったそうです。
継母が夜にお酒を飲みながら、
「うちの子はこの子(義弟)だけや…」
と本音を漏らしているのを壁づたいに聞き、兄・正樹さんと明石家さんまさん二人でこっそり泣いたエピソードも。
明石家さんまも母親を三歳で亡くしたり継母に「うちの子はこの子(再婚相手の実子)だけや…」ってボヤかれたり結構ハードな生い立ちを持ってるんだよね
まぁ、そこで継母恨むんじゃなくて毎日ギャグを考えて何とか仲良くしようとしてたのが明石家さんまの凄い所なんだけどね
やっぱ普通の人じゃないわ https://t.co/mhOP53W50y— 悶絶A帯専属調教師ゆきは (@DELTAkitazaki) June 15, 2021
それでも、8つ年の離れた義弟・正登さんのことを可愛がっていた明石家さんまさん。
義弟とは仲良しでしたが、結局継母とは確執が残ったままだったようです。
名前に「正」がない疎外感
と、3人兄弟で唯一名前に「正」という漢字がなかったことも、明石家さんまさんの悩みの種の一つでした。
昨日ホンマでっかTV⁉で明石家さんま「兄が正樹で俺が高文、弟が正登。俺だけもらいっ子だと悩んだわ」みたいなこと言ってた。
正樹さんとさんまさんは兄弟で正登さんだけ継母の子だそうです。
継母は弟の正登さんだけ可愛がったとか。
— kiki (@twist5656) June 6, 2018
真ん中っ子の明石家さんまさんは、子どもながらに疎外感を感じていたんでしょうね。
それから、「なんとか自分に関心をもってほしい!」という一心で行動した明石家さんまさん。
親戚たちの前で有名人のものまねをし、大笑いさせることに成功。
兄弟たちより秀でていたのが「お笑い」のセンスだったんですね。
幼い頃から抱えていた淋しさを埋めるために、頑張っている明石家さんま少年の姿を想像すると切ないですね。
この幼少期の経験が、明石家さんまさんをお笑いの道へ突き進む最初のきっかけに!
その後、小中高でも同級生を誘ってお笑い道を突き進んでいった明石家さんまさん。
学生時代って、面白い人がクラスの中心で人気者になりますよね。
家では淋しい思いをしていましたが、学校では一番の人気者になることができました。
明石家さんまの祖父は継母のいじめから救ってくれた
家族の中で疎外感を感じていた明石家さんまさんを元気づけてくれたのが、祖父の音一さん。
仕事で忙しい両親の代わりに面倒をよくみてもらっていたそう。
そんな彼が“お笑い怪獣・明石家さんま”になったきっかけは、音一さんの存在だった。
さんまは「自分のお笑いのDNAは間違いなくおじいのモノ。僕に生き方を教えてくれたのは、おじいだった」と語る
引用:ORICON NEWS
泣き虫だった明石家さんまさんを笑いで変えてくれた祖父の音一さん。
祖父の音一さん、実兄の正樹さん、明石家さんまさんの3人は地元では「奈良の3バカ大将」と呼ばれるほど有名な面白い3人だったとか!
祖父である音一さんがそのトリオに加わっているのが面白いですよね!
「最高におもしろいおじいちゃん」として仲の良かった音一さんが、明石家さんまさんのお笑いの原点なんですね!
明石家さんまの家族の現在は
壮絶な幼少期を過ごしてきた明石家さんまさん。
その後高校3年生のときに、笑福亭松之助に弟子入りし、笑福亭さんまとしてデビュー。
「公演のときより楽屋のときのが面白い」と言われ、タレントへ転向。
1970年代後半~現在まで第一線で活躍されてきました。
私生活では1988年に女優の大竹しのぶさんと結婚、1989年に長女のイマルさんが誕生し、その後1992年に離婚しています。
順番に気になる現在の明石家さんまさんの家族についてみてみましょう。
弟との別れ
継母との確執は消えないままでしたが、義弟の正登さんとは仲良しだった明石家さんまさん。
義弟の正登さんは、サッカーが得意で奈良育英高校サッカー部のキャプテンをつとめていたとか。
インターハイや国体にも出場経験があるなど運動神経抜群の義弟。
そんな義弟が19歳のときに実家の家事で帰らぬ人に。
タモリ、ビートたけしと並び、お笑い界のBIG3と称される明石家さんま。
1983年には奈良の実家が全焼し、当時19歳だった弟が焼死するという悲劇に見舞われている。
明石家さんまは芸能界に入ったあとも、年の離れた義弟を気にかけていました。
義弟の正登さんからも慕われており、「ワールドカップを一緒に観に行こう」と話していたほど仲良しだったのですが、その約束を果たせぬまま永遠のお別れに。
そのとき、芸人を辞めようかと思うほど明石家さんまさんは相当落ち込んだそうです。
兄の現在は
実兄の正樹さんは現在、父親がはじめた「KARAOKEさんま」を継ぎ、オーナーとして営われています。
「KARAOKEさんま」のお店の場所はこちらです!
住所:奈良県奈良市三条大路1丁目2−1 コーポ杉音
実兄・正樹さんは、以前TVに出演した際、明石家さんまさんに顔がそっくりと話題に!
気さくな人柄で面白く、お店の口コミも高評価でした!
イマルの名前の意味が泣ける
明石家さんまさんと大竹しのぶさん元夫婦の長女「IMALU」さん。
「イマル」は本名で、明石家さんまさんの名言である『「い」きてるだけで「ま」「る」もうけ」から名づけられました。
1989年生まれのイマルさん。
その4年前に明石家さんまさんは九死に一生を得る出来事を経験。
それが「日本航空JAL123便墜落事故」。
明石家さんまは事故当日このJAL123便に乗る予定でしたが、仕事が早く終わったため一つ前の便に乗ることができ、この墜落事故を免れました。
自分も事故で命を落とすかもしれなかったという経験をふまえて「いきてるだけでまるもうけ」をきくと、この言葉の重みをより感じますよね。
元妻・大竹しのぶと長男・二千翔(にちか)と家族ぐるみの付き合い
明石家さんまさんは女優の大竹しのぶさんと1988年に結婚。1992年に離婚しています。
しかし、TVでよく共演しているなど今でも仲良しですよね!
実は、大竹しのぶさんには前夫との間に子どもがいて明石家さんまさんとは連れ子再婚だったことは知らない方も多いのではないでしょうか。
その連れ子である長男・二千翔(にちか)さんは明石家さんまさんのことをTV番組で、
小さい頃からずっと一緒にいて育ててくれた。本当の父親。自慢のお父さん。
と語っています。
二千翔さんの実父は、二千翔さんが2歳のときに亡くなられています。
明石家さんまさんも、実母を3歳間近で失っています。
境遇が似ている二千翔さんと明石家さんまさん。
血のつながっていない継母から辛くあたられた経験のある明石家さんまさんだからこそ、義理の息子である二千翔さんには「そんな淋しい思いを決してさせない!」と、本当の息子のように大切に接してこられたのでしょう。
実の娘であるイマルさんより優先させていたというエピソードも!
さんまは確かどんなに遅く帰っても大竹しのぶの連れ子の二千翔(にちか)から頭を撫で、次に実子のいまるの頭を撫でた話してましたね。
自分の事を「父さん」「パパ」ではなくボスと呼ばせてたのも二千翔に対する配慮だったのかなと。
優しいんすよね彼
話ズレだかもですがニュアンスです https://t.co/z9uOIMbSiL— はと🐦ようすけ (@jounetu2sen) June 15, 2020
家族というものを人一倍大切にしている一面が垣間見えますね。
まとめ
お笑い怪獣として知られる明石家さんまさん。
実は、「継母からのいじめ」や「家族の中での疎外感」を払拭するようにお笑いに目覚めていったという知られざる過去がありました!
「生きてるだけで丸儲け」という言葉の裏には、実母と義弟を早くに亡くしたり、自身も九死に一生を得る経験をした明石家さんまさんだからこそ言える重みのある言葉でした。
2021年12月現在66歳の明石家さんまさん。
これからも日本中を笑いで明るくし続けてほしいですね!