デビュー当時から現在まで、変わらぬ美貌で人気を誇っている宮沢りえさん。
現在放送中のドラマ「真犯人フラグ」では、ある日突然失踪してしまう主人公の妻役を演じ話題になっています。
そんな宮沢りえさんですが、なんと幼稚園の頃からヤバいかわいさだったとか!
40代である現在でもここまでお綺麗なので、小さい頃もきっとかわいかったのでしょうね。
今回は、宮沢りえさんの幼稚園の頃から、若い頃のかわいい画像までまとめてみました。
目次
宮沢りえの若い頃のかわいい画像!幼稚園の頃からヤバかった!
- 本名:宮沢梨絵
- 生年月日:1973年4月6日
- 年齢:48歳(2021年11月現在)
- 出身:東京都練馬区
- 血液型:B型
- 身長:167cm
- 日本人の母と、オランダ人の父を持つ
- 11歳の頃にモデルとしてデビュー
2018年3月16日に、元V6の森田剛さんとご結婚されている宮沢りえさん。
お若い頃のかわいい姿をご紹介します。
①1977年:幼稚園のころから超かわいかった
宮沢りえさんは、1977年に大泉小鳩幼稚園へ入園。
1980年に卒園しています。
こちらは当時撮られた写真です。
このころから超かわいい宮沢りえさん!
これだけかわいいと、幼稚園の中でも目立つ存在だったでしょうね。
宮沢りえさんは、幼少期から小学4年生まで、実の両親ではなく、おば様のお家で育てられています。
ご両親が離婚され、自身も親元を離れて、と複雑な家庭環境だった宮沢りえさん。
しかし、おば様が愛情をたっぷりと注いで育ててくれたため、幸せな幼少期だったと言います。
②1985年:明星チャルメラのCМで芸能界デビュー
宮沢りえさんは11歳でモデルとしてデビュー。
1985年、小学6年生の時に明星食品「チャルメラ」のCМに出演します。
今見てもすごい美少女ですね!
小学生でこの完成度はなかなかいないと思います。
かわいい宮沢りえさんのCM集を見つけました・・・
可愛すぎます!
③1985年:キットカットCМ出演
歴代様々な美少女が起用されているキットカットのCМ。
1985年には、宮沢りえさんと後藤久美子さんの二人が出演しています。
右の白いリボンの少女が宮沢りえさん。赤いリボンが後藤久美子さんです。
宮沢りえさんに負けないくらいの人気だった後藤久美子さん。
2人は同学年で仲が良く、一緒に旅行に行く計画を立てるほどだったのだとか。
④1987年:三井のリハウスCМ出演
美少女芸能人の登竜門とも言える三井不動産販売「三井のリハウス」のCМ。
このCМは、なんと宮沢りえさんが初代なのです。
そして、今年2021年、34年ぶりに宮沢りえさんは「三井のリハウス」の新テレビCМに出演しました。
宮沢りえさんはこのCМで、大人になり、母親となった「白鳥麗子」役を演じています。
「リハウスって何?」篇では、現在と34年前の白鳥麗子が共演する形となっています!
⑤1988年:映画「ぼくらの七日間戦争」主演
宮沢りえさんは、映画「ぼくらの七日間戦争」の主演で女優デビューを果たします。
そして、この映画で日本アカデミー賞新人賞も受賞。
30年以上経っても名作と名高いこの作品は、2019年にアニメ映画としてリメイクされています。
アニメ映画版「ぼくらの7日間戦争」には、特別出演として、30年後の中山ひとみ役で宮沢りえさんが声の出演をされています。
映画『ぼくらの七日間戦争』は観ていても、その30年後を描いたアニメ映画『ぼくらの7日間戦争』を観ていない人へ。宮沢りえだけ中山ひとみ役で30年後にも登場します。そして、30年前のこちらの写真を見つめるシーンで、TM NETWORK「SEVEN DAYS WAR」が流れます。もう観ない理由はありませんよね。 pic.twitter.com/rd7KQM5omi
— 平賀哲雄’21🐼(閃光のインタビュアー/ライター/コメンテーター/ガチマヂファイヤー) (@Tetsuo_Hiraga) August 24, 2020
名作はいつまでも色褪せることがないのですね。
⑥1989年:大河ドラマ「春日局」出演
1989年には「春日局」で大河ドラマに初出演している宮沢りえさん。
茶々の長妹で、お江与の次姉であるお初の少女期を演じました。
この後も宮沢りえさんは大河ドラマに4作出演。
2022年の「鎌倉殿の13人」への出演も決定しています。
⑦1989年:ドラマ「青春オーロラ・スピン スワンの涙」で連続ドラマ初主演
宮沢りえさんが16歳の時、「青春オーロラ・スピン スワンの涙」というドラマで連続ドラマ初主演をつとめます。
だんだん表情も大人びてきて、どんどん美しくなっていきます。
当時話題だったシンクロナイズドスイミングをテーマにしたこのドラマ。
宮沢りえさんはアスリート役を体当たりで演じました。
⑧1990年:紅白歌合戦初出場
1989年に歌手デビューを果たしていた宮沢りえさん。
1990年には、「第41回NHK紅白歌合戦」に初出場しています。
デヴィッド・ボウイとジョン・レノンが共演した「Fame」という曲のカバー「Game」を歌いました。
NHKホール内ではなく、外で自由に歌いたいと申し出た宮沢りえさん。
港区芝浦のビルの屋上から中継をつなぎ、バスタブの中で歌い上げました。
⑨1991年:写真集「Santa Fe」発売
宮沢りえさんが18歳の時、伝説の写真集「Santa Fe」が発売されました。
人気絶頂だった当時の宮沢りえさんのオールヌード写真集は大ヒット。
150万部以上を売り上げベストセラーとなりました。
それまで清純派だった「聖女」宮沢りえさんがヌード写真集を出したことは、世間に大きな衝撃を与えました。
宮沢りえさんと、カメラマンである篠山紀信さんが「いい作品を作ろう」という思いで撮った渾身の1冊なのです。
皆さん、おはようございます😃
11月 13日 土曜日。
1991年の、この日、
宮沢りえのヌード写真集「サンタフェ」が発売。
150万部のベストセラーに。#サンタフェ #宮沢りえ #朝活 #今日は何の日 pic.twitter.com/tqjgYY94Kf
— けんけん@京都 大好きインスタグラマー (@kenken_kyoto_) November 12, 2021
⑩1992年:貴花田(現・貴乃花光司)との婚約を発表
1992年11月27日、当時関脇貴花田だった現・貴乃花光司さんと宮沢りえさんが婚約会見を開きました。
人気者の二人の婚約に日本中がお祝いムードに包まれ、「貴りえフィーバー」という言葉が生まれたほどです。
ですが、お二人はわずか2ヶ月で破局。
破局理由は、二人の進む道が違いすぎたからだと言います。
このニュースは婚約した時と同じくらい日本中を驚かせました。
なんと当時の宮澤首相までもがマスコミからコメントを求められたというからびっくりしますね。
まとめ
宮沢りえさんの幼少期~お若い頃のかわいい画像を紹介しました。
こう見ると、本当に唯一無二の魅力を持った方なのだということがよく分かりますね。
少女の頃の宮沢りえさんもかわいいですが、現在の宮沢りえさんもとても素敵です。
2022年も映画やドラマなど出演作が続いている宮沢りえさん。
今後の活躍にも期待していきたいですね!

最近では「メンテナンスした?」と言われている宮沢りえさん。
とても48歳には見えないですね!