2022年12月25日、埼玉県飯能市美杉台の住宅で一家3人が殺害された事件で、斎藤淳容疑者が逮捕されました。
事件発生から時間が経つにつれ、少しずつ斎藤淳容疑者の素性が明らかになってきました。
かつては、イケメンでスポーツができ女性にモテたという斎藤淳容疑者。
映画監督だった過去もあるといいます。
斎藤淳容疑者とは一体どんな人物だったのでしょうか?
詳しくみていきます。
↓↓事件の詳細は以下の記事をご覧ください↓↓
斎藤淳、顔画像公開!動機は近隣トラブルか?「飯能市美杉台一家殺人事件」
目次
斎藤淳容疑者の素性と家族構成
ニュースで報じられている斎藤淳容疑者のプロフィールは以下の通りです。
- 名前:斎藤淳(さいとう じゅん)
- 年齢:40歳
- 住所:埼玉県飯能市美杉台4丁目
- 職業:無職(かつては映画監督をしていた)
家族構成は、両親と姉と斎藤容疑者の4人家族とのこと。
両親が離婚して、それぞれ家を出ていき、姉と2人暮らしをしていたそうですが、その姉も家を出ていったことで、数年前から斎藤容疑者1人で暮らしていたという事です。
斎藤容疑者は現在無職ということで、噂では親の金で生活していたのではないかとのこと。
以下の項目で、より詳しく見ていきます。
斎藤淳容疑者の自宅を特定。高級住宅地の一軒家
斎藤淳容疑者の自宅は事件現場となった被害者宅と同じ、埼玉県飯能市美杉台4丁目にあります。
ニュースでは以下の様な写真が出ていました。
斎藤淳容疑者の家は被害者宅からたった60mの距離にあったようです。
Googleストリートビューで見てみましょう。
なんと斎藤淳容疑者の家はモザイクがかかり見えない状態になっていました。
個人情報が映っている場合や、モザイク処理の依頼があった時などにモザイクをかけられるそうです。
どういった理由でモザイクになっているか分かりませんが、斎藤淳容疑者自ら依頼したのであれば、神経質な性格が伺えますね。
また、こちらの写真は2019年に撮られたもののようですが、この時点ですでに庭木がボーボーに生い茂っており、手入れされていないのが分かります。
すでに斎藤容疑者が1人で住んでいたということでしょうか?
先ほどの航空写真を見る限りだと、かなり立派な家に見えます。
斎藤淳容疑者の家がかなり裕福だったことが伺えます。
親の金で生活していたのではないかと噂もあながち間違いではないかもしれませんね。
斎藤淳容疑者の若い頃は「イケメンで文武両道の優等生」?
斎藤淳容疑者はいったいどんな学生時代を送っていたのでしょうか?
近所の人からは意外な声が聞かれました。
斎藤容疑者の知人A: 信じられない感じだった。真面目で良い子だよ、スポーツもできるしね。勉強もできるし、優等生なのかな。
斎藤容疑者の知人B: 息子が言うには、ものすごくかっこいい。サッカーがうまかった。こんな事件を起こすような感じじゃまったくなかったって。
「勉強ができ、スポーツ万能で優等生。こんな事件を起こすのは信じられない。」といった評価です。
さらにイケメンで、かなり女性にモテていたそうです。
他のニュースでも何人か斎藤淳容疑者を知る人物から話を聞いていますが、みんな同じようなことを言っています。
始めて斎藤淳容疑者の写真を見た時には、かなりくたびれて見えて、およそ40歳には見えませんでした。
なので、「イケメン」と聞いてしっくりきませんでしたが、過去の写真を見て納得しました。
これは中学時代の写真ということですが、確かにイケメンと言えるでしょう。
この顔で、スポーツ万能、勉強もできたとなると、かなりモテたというのも分かります。
近所の人の評判が良い一方、斎藤淳容疑者の挫折を伺わせる報道もありました。
「小学校ではサッカーをやっていたことを覚えています。活発でかっこよく、運動もできるからアイドル的な存在でしたよ。
ただ、小学生のころからこだわりが強い男の子という印象です。
中学は県内の私立に入学したはずですが、中退して中3の数カ月だけ地元の公立中で過ごしています。
でも、ほとんど登校していなかったそうです。その後は地元の私立高校に進学したと思います」(同級生の母親)
斎藤容疑者は私立中学に入学したものの、3年時に中退して、地元の公立中学に戻ってきていたとのこと。
小学時代からこだわりが強いということだったので、そのことでイジメにあったりしていたのでしょうか?
こだわりが強いのは発達障害の一種ASDの特徴でもあります。
斎藤容疑者が発達障害だった可能性もありますね。
斎藤容疑者は被害者を殺害する際、執拗にハンマーを振り下ろしていたとのこと。
見ていた人の証言では「畑を耕しているようだった」と言っています。
その辺りからも、斎藤容疑者のこだわりの強さというか、粘着性の様なものが伺い知れますね。
斎藤淳容疑者、映画監督をやっていたことも発覚!
斎藤淳容疑者はかつて映画監督をやっていたということが発覚しました。
当時、知り合いだったという方がツイッターで以下の様なツイートをしています。
2007年、彼は若き映画監督で、編集中に突然、周りと連絡を絶った。2回、この白い家まで説得に行ったのが最後やけど、顔も全然変わってない。あの作品でつまずいてから、あのまま15年も引きこもってたんやろか。未完の映画『ギフト』はまだパソコンに残ってるんやろか。なんか分かるし、つらいな。
— 西尾孔志 (@nishiohiroshi) December 26, 2022
この方の話によると、斎藤淳容疑者は2007年頃映画監督をやっていて、突然姿を消したとのこと。
『ギフト』という映画を製作途中につまずいて、その後引きこもっていたのではないかというのが、この方の意見です。
2007年だと、斎藤淳容疑者が25歳の頃。
映画監督で成功することを夢見て頑張っていたが、映画製作に行き詰まり挫折し、引きこもってしまったということでしょうか?
実は斎藤淳容疑者は2005年に「TIROL Short Film Contesut」というショート映画のコンテストで賞を取っています。
コンテストで賞を取るぐらいなので、才能はあったのでしょう。
それでも2年後の2007年に何らかの理由で挫折し、映画監督を辞めてしまったようです。
強すぎるこだわりが足をひっぱったのでしょうか?
いずれにしても、この挫折が、のちに凶悪な事件を起こす斎藤淳容疑者の人格に大きく影響を与えたことは間違いないでしょう。
斎藤淳容疑者の事件時、事件後の行動
斎藤淳容疑者の事件時、事件後の様子も少しずつ明らかになってきました。
どのような行動を取っていたのか、詳しく見ていきます。
事件があったのは2022年12月25日午前7時過ぎ。
斎藤淳容疑者は長いハンマーを持って、被害者宅の玄関から入り、一家3人を次々襲ったとみられています。
近隣の人の話では、かなり大きな悲鳴がずっと聞こえていたらしく、バタバタと足音も聞こえていたとのことです。
その声から、斎藤容疑者が被害者を執拗に追いかけまわしていたことが分かります。
その後、被害者の3人は斎藤容疑者に捕まり、殺害されます。
死因は鈍器で首を殴られたことによる頸椎損傷と発表されています。
犯行を目撃した人から話を聞いたという男性によると、男は「長いハンマーで畑を耕すように殴っていた」という。
先ほども書きましたが、斎藤容疑者は被害者をハンマーで畑を耕すように殴っていたとのこと。
この表現、かなりゾッとしますね。
死因が頸椎損傷ということなので、ほぼ一撃で亡くなっていたと思います。
それを何度も何度も被害者に向けてハンマーを振り下ろしていたとのこと。
斎藤容疑者の狂気性が伺えます。
その後、2階に火をつけています。
証拠を隠滅しようとしていたのか、それとも殺しただけでは収まりがつかなかったのか。
いずれにしても、斎藤容疑者の執着は凄まじいですね。
そして、玄関を出たところで、住人と出くわしたそうです。
事件を目撃した近隣住民 「『(人が)やられている』って話を家内とか近所の人に聞いて、様子を見に、木刀を持って行ったんですけど。
そしたら、(斎藤容疑者が)ちょうど出てきた。
『お前がやったのか?』という意味で、『お前か?』って言ったら、元へ戻っていった」
「何も言わず、無言でそのまま。平然としているというか、興奮した様子もないし、息を荒らげている様子もないし、戻っていく時も走るわけでもないし」
人が襲われていると聞いて、被害者宅へ向かった近隣住民が、被害者宅から出てきた斎藤容疑者と出くわしたということです。
その時の様子は平然としていたということで、特に興奮しているといった感じでもなく、慌てる様子でもなかったとのこと。
人を3人も殺して、平然としているなんて、まさにサイコパスといった感じですね。
その後、一度被害者宅に引き返した斎藤容疑者ですが、まもなく自宅に戻ったとのことです。
警察は斎藤容疑者が帰宅してから、斎藤容疑者の自宅に訪問。
呼び鈴をならしても出ず、居留守を使っていたとのこと。
そして、事件発生から15時間後に警察が斎藤容疑者の自宅に突入。
斎藤容疑者は自室に閉じこもり、部屋のドアには物を置いて簡易的なバリケードを作っていたとのことです。
警察の呼びかけに応じなかったため、無理やり部屋に入り、身柄を確保しました。
以上の様な、斎藤容疑者の事件当時の行動から、異常な殺意と狂気が伺いしれますね。
現在斎藤容疑者は黙秘を続けているとのことですが、少しずつ事件の背景が分かってくることでしょう。
また、新たな情報が入り次第追記・更新していきます。
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