僧侶の瀬戸内寂聴さん。
瀬戸内寂聴さんは2021年11月11日、99歳でお亡くなりになられましたが、激動の人生でした。
僧侶というイメージは慎ましやかなイメージがありますが、瀬戸内寂聴さんは僧侶になるまでには、
- バツイチ
- 不倫3回
- 夫と子供を捨て駆け落ち
など、小説のような人生を歩んでいます。
数々の男性と恋に落ちた瀬戸内寂聴さんの若い頃は、とってもチャーミングで美人なんですよ。
今回は、僧侶の瀬戸内寂聴さんの若い頃の美人画像、そして、3回の不倫や捨てた子供との関係についてご紹介します!
瀬戸内寂聴の若い頃が美人【画像】
瀬戸内寂聴さんの若い頃の画像はこちらです!
瀬戸内寂聴さん、髪の毛がふさふさでおしゃれですね!
こちらは、モデルのような瀬戸内寂聴さん。
ファッション雑誌の一面を飾りそうなぐらい、瀬戸内寂聴さんカワイイです!
こちらの瀬戸内寂聴さんは、面影がありますね~!
身に着けている帽子やネックレスがとってもおしゃれです!
瀬戸内寂聴さん、若い頃はパーマをかけていたんですね。
笑顔がとてもチャーミングです!
瀬戸内寂聴さんの若い頃は、とてもかわいらしく美人なことが分かりました!
こんな美人でかわいい瀬戸内寂聴さんのことを、男性が放っておくはずがありませんね。
瀬戸内寂聴さんは若い頃、愛に生きる壮絶な人生を送っていたんです。
瀬戸内寂聴は夫と子供を捨て3回不倫!
瀬戸内寂聴さんが結婚したのは一度だけ、大学生のころです。
瀬戸内寂聴さんは、東京女子大学生時代、20歳で酒井悌(1913-1992 )さんとお見合いをしました。
▲夫の酒井悌と瀬戸内寂聴
当時の見合いは「男が女を選ぶもの」という田舎の風潮が残っていて、瀬戸内寂聴さんも夫に気に入られるように努めました。
夫の酒井悌さんは学者の卵で、大学の講師として中国の北京に住んでいました。
瀬戸内寂聴さんは、北京にいる夫に毎日ラブレターを送るけなげな女の子でした。
瀬戸内寂聴さんと酒井悌さんは、婚約から1年後の1943年2月に結婚。
1944年8月1日には、女の子が生まれました。
戦争が終わり、日本の徳島へ帰ってきた瀬戸内寂聴さん一家。
瀬戸内寂聴さんは、夫の教え子と恋に落ちます。
不倫①夫の教え子
瀬戸内寂聴さんの一人目の浮気相手は、夫の教え子の21歳の文学青年です。
瀬戸内寂聴さんは、不倫をした理由を「夫が頼りなく感じた」と語っています。
日本に帰ってきてからも苦労が多くてね。
非常に頼もしい人だと信じていた九つ上の夫のことを、実際は頼りないと感じるようになって若い男と恋愛して、四歳になる娘を置いて婚家を出奔しました
引用:VOGUE
- 夫 34歳
- 瀬戸内寂聴 25歳
- 教え子 21歳
という年齢でした。
敗戦で日本にやってきた瀬戸内寂聴さん一家。
瀬戸内寂聴さんはうまくいかないことが多くて、夫が頼りなく見えてしまったんですね。
この時、瀬戸内寂聴さんは罪の意識からか、不倫のことを夫に打ち明けます。
しかし怒った夫は、瀬戸内寂聴さんを連れて、1947年に上京。
無理やり瀬戸内寂聴さんと不倫相手の関係を断ち切ろうとしたんですね。
しかし、不倫相手を忘れられない瀬戸内寂聴さんは、夫と3歳の子供を置いて単身不倫相手のいる京都に行ってしまいます。
この時、瀬戸内寂聴さんは自分に経済力があれば子供と一緒にいられたと回想しています。
経済的に自立している限り、子どもと一緒にいられますから。
わたしが家を出たときにはかなわなかったことです
引用:APP
そして、家を出る際には、夫から暴力も振るわれました。
瀬戸内寂聴さんは、相当の覚悟をして文学青年の元へ行きました。
しかし若干21歳の教え子には瀬戸内寂聴さんの思いは重すぎ、関係は長く続きませんでした。
それから瀬戸内寂聴さんが夫と離婚したのは、3年後の28歳の時でした。
不倫②妻子持ちの小説家:小田仁二郎
1950年、正式に夫と離婚が成立し独身となった瀬戸内寂聴さん。
1951年には再び上京し、ペンネームを「三谷晴美」として、本格的に小説を書くようになりました。
その時自分の原稿を見てもらって男女の仲になったのが、小説家の「小田仁二郎」さん。
後に、瀬戸内寂聴さんの師匠と言われた方です。
瀬戸内寂聴さんは小田仁二郎さんに妻子がいることは知っていました。
しかし、瀬戸内寂聴さんは小田仁二郎さんの妻になろうとはしませんでした。
はじめから、私は彼に妻子のあることは知っていたし、その人たちの場にふみこもうなどとは考えてもいなかった。
引用:婦人公論
瀬戸内寂聴さんと小田仁二郎さんの関係は8年に及びました。
また、小田仁二郎さんと不倫関係の間に、一度目の不倫相手の元教え子とも再会。
かつて恋仲だった元教え子の青年は、昔とは別人のように生気がない男性になっていました。
瀬戸内寂聴さんは元教え子を放っておけずに、元教え子と関係を持つように・・・
瀬戸内寂聴さん、なんと
- 不倫相手
- 元教え子
と、三角関係になるんです!
瀬戸内寂聴さんと小田仁二郎さん、元教え子との三角関係の8年間は、瀬戸内寂聴の自伝「夏の終わり」に書かれています。
「夏の終わり」は、瀬戸内寂聴さんの代表作となり、1963年の女流文学賞を受賞しています。
不倫③妻子持ちの小説家:井上光晴
▲井上光晴と瀬戸内寂聴
後ろにいるのは井上光晴の妻
瀬戸内寂聴さんの3回目の不倫の相手は、妻子持ちの小説家「井上光晴」さん。
瀬戸内寂聴さんと井上光晴さんは、1966年高松へ講演旅行の際に、男女の関係を持ちました。
それから7年間、瀬戸内寂聴さんは井上光晴さんと不倫を続けます。
瀬戸内寂聴さんは井上光晴さんとの関係を断ち切るため、1973年に僧侶となることを決心します。
井上光晴さんには、当時5歳になる娘がいました。
▲井上荒野
後に、井上光晴さんの娘さんは「井上荒野」という名前で小説家としてデビュー。
瀬戸内寂聴さんと父井上光晴さんの不倫関係を「あちらにいる鬼」という本に綴っています。
「あちらにいる鬼」を執筆する際、井上荒野さんは瀬戸内寂聴さんにインタビューをしています。
その際に、瀬戸内寂聴さんは
そもそも私は井上さんとの関係を不倫なんて思ってないの。
井上さんだって思ってなかった。
今でも悪いとは思ってない。
たまたま奥さんがいたというだけ。
好きになったらそんなこと関係ない。
雷が落ちてくるようなものだからね。
引用:AERA
と、不倫に対して後ろめたい思いをしていなかったようです。
(そうじゃないと、3回も不倫できませんよね・・・笑)
不思議なもので、瀬戸内寂聴さんと井上光晴さんの奥さん、井上荒野さんは仲良しなんですよ。
不倫について井上荒野さんも理解があり
不倫がダメだからとか奥さんがいるからやめておこうというのは愛に条件をつけることだから、そっちのほうが不純な気がする。
引用:AERA
と、好きになったらしょうがない、というスタイルです。
井上光晴さんは、瀬戸内寂聴さんが住職をしていた天台寺(岩手県二戸市)の、瀬戸内寂聴さんが買っておいた墓地の隣に、井上家の墓地を買っています。
瀬戸内寂聴さんとお墓が隣同士!
現在は、そのお墓で井上光晴さんと奥さんが永眠されています。
何とも不思議な瀬戸内寂聴さんと井上家の関係です。
瀬戸内寂聴は出家直前まで数人の男性とつきあっていた!
波乱万丈な人生を送ってきた瀬戸内寂聴さんですが、51歳の時に出家を決断します。
世間では、「井上光晴さんとの関係を断ち切るために、出家をした」と言われていますが、瀬戸内寂聴さんによると、何かを追い求めたかったと語っています。
世の中を否定して仏門に入ったわけではないんです。
男性との関係に疲れたというのでもありません。
出家する直前まで、数人の男性とおつきあいしていました。
でも、仕事を持ち、おつきあいする相手がいても、心は空虚だった。
何かほかのものを追い求めたかったんです。
引用:AFP
瀬戸内寂聴さん、一体何人の男性とお付き合いしていたのでしょうか?!
しかし、出家をして僧侶になってからは男性との関係は一切なかったようです。
瀬戸内寂聴は子供と現在和解【画像】
さて、瀬戸内寂聴さんが一回目の不倫で置いてきてしまった3歳の子供ですが、現在は瀬戸内寂聴さんと和解しています。
1944年生まれですから、現在77歳ですね。
瀬戸内寂聴さんの娘さんの名前は廸子(みちこ)さん。
瀬戸内寂聴さんとおこさんの画像がこちらです。
とてもお綺麗ですね!
みちこさんは、現在アメリカに住んでいるという情報があり、帰国すると瀬戸内寂聴に会っているんです。
たった一人の子供と和解できて、瀬戸内寂聴さん嬉しかったでしょうね。