2022年に日本ハムファイターズの監督を務めることになった、新庄剛志さん。
新庄剛志さんといえば、派手なパフォーマンスや破天荒な行動が目につきますが、
生まれはとても貧しい暮らしをしていたんです。
新庄剛志さんは、一体どんな風にスターダムにのし上がっていったのでしょう?
今回は、新庄剛志さんの生い立ちをご紹介します!
目次
新庄剛志の生い立ち!子供の頃は貧乏だった!
派手なイメージのある新庄剛志さんですが、幼少期はとても貧乏な生活をしていました。
新庄剛志さんがどれだけ貧乏だったのか、驚くエピソードがあります。
- 朝ごはんはなかった。夕ご飯はゆで卵1個。
- 窓ガラスが割れたらビニール袋を貼って窓をふさぐ。
- 車の窓にもビニール袋。
- 運動靴が買ってもらえなかったため、野球の練習では上履きを履いていた。
- 運動会の時は、上履きのゴムがぶよぶよで素足で参加。
どうでしょうか?
新庄剛志さんは想像よりも、はるかに貧乏な生活だと思いませんか?!
なぜ、新庄剛志さんがここまで貧乏な暮らしをしていたかですが、父の収入が少なかったことと、父が毎日居酒屋に行っていたことが関係しています。
新庄剛志の父
新庄剛志さんの父は、新庄英敏さん。
職業は、造園業をしていました。
新庄剛志さんは小さいころから、父の仕事を手伝っていました。
大きい岩を運んだり、木の剪定をしたり・・・
新庄剛志さんが父の仕事を手伝ったことで、新庄剛志さんは握力が強くなったそうです。
新庄剛志さんの握力は約90あると言われていて、リンゴを握りつぶせるほど!
亡父は植木職人で、小さい頃から木材運びなどを手伝っていたことで握力がつき、片手でリンゴが握りつぶせるほどになったという
引用:スポニチ
仕事はきっちりとやっていた新庄剛志さんの父ですが、お酒が好きで毎日のようにお酒を飲んでいました。
新庄剛志さんの家が貧乏だったのは、父親のお酒も一因ですね。
礼節に厳しかった父
新庄剛志さんの父は、お酒が好きで喧嘩っぱやいところがありましたが、仕事はきちっとこなしていました。
どんなに帰りが遅くても、朝6時に起きて仕事をしていました。
また、新庄剛志さんの父は、仕事終わりに道具を毎日手入れして大切に使っていました。
新庄剛志さんも父に習って、道具を大事に使っていました。
新庄剛志さんは、プロ野球に入って最初に買った7500円のグローブをずっと大事に使っていました。
新庄剛志さんは引退するまで17年間、ずっとそのグローブを大事に使い続けていたんです!
その後、グローブは新庄剛志さんの父と一緒に棺桶に入れられました。
それが17年目でダメになってきて。
俺の体もダメになってきて『あ、コレは終わりだ』って。
それ(道具を大事にすることを)を教えてくれたのは親父だから、親父が死んでそのグローブを棺桶に入れて、一緒に燃えたの
引用:スポニチ
破天荒であった反面、礼儀に厳しかった新庄英敏さん。
新庄剛志さんは「派手に見えながらも、礼節は人一倍しっかりしている」と新庄剛志さんを知る人は言います。
新庄剛志さんのしっかりした礼節は、父の英敏さんから受け継いだものだったんですね。
新庄剛志の子供時代!野球が一番下手だった
新庄剛志さんは、運動神経が良いことで有名です。
新庄剛志さんの運動神経の良さは生まれつきでした。
- マラソンでぶっちぎり1位。2位の子と15分以上の差。
- 先生のバック宙を一回見ただけでできた。
- サッカーやバレーボールを始めると、2日目には誰よりもうまくなっていた。
しかし、新庄剛志さんが一番下手くそなことがありました。
それが「野球」です!
信じられませんよね?
新庄剛志さんは自伝「わいたこら」で、野球が一番下手だったゆえに、練習に打ち込んだエピソードを書いています。
いろんなスポーツの中で、野球が一番下手だった。
でも、僕はなぜか野球で成功すると信じていた。
僕はうまくいかないことや苦手なことがあると、逆に燃えてしまうタイプだから。
引用:新庄剛志「わいたこら」
負けず嫌いな新庄剛志さんは、野球がうまくなりたい一心で、野球にのめりこんでいきます。
新庄剛志は超負けず嫌い!
新庄剛志さんは目立ちたがり屋でもありますが、超負けず嫌いでもありましたw
新庄剛志さんは小学6年生の時、町内のソフトボール大会でサヨナラ負けをしました。
その際、悔しかった新庄剛志さんは、泣きながら審判に誤審を訴え続けたんです。
それを見ていた監督が、「自分が監督をつとめるから野球チームを作って悔しさを晴らそう」と新庄剛志さんに提案。
新庄剛志さんは2日間でメンバーを集め、「長丘ファイターズ」を結成します。
長丘ファイターズは、結成1か月で福岡県大会で3位に輝いています!
そして、長丘ファイターズは現在も活動を続けています。
新庄剛志は小学生の頃から努力家だった
新庄剛志さんは、家の前の壁に画用紙で丸を書いたものに、ボールを投げ続けたそうです。
どんどん距離を離していって、3球丸に入らならないと帰らないという練習をしていました。
新庄剛志さんはその後も努力をし続けました。
阪神タイガース時代には、練習を終え、みんなが帰った後に人知れず夜遅くまで練習していました。
2021年9月30日に、少年たちに野球を教えている新庄剛志さん。
練習していないやつはうまくならない
テレビでちゃらんぽらんなこと言ってたけど、実はものすごい練習してた
じゃないとプロ野球で十何年間もレギュラーとれないから
と、努力の大切さを教えています。
新庄剛志の高校時代!暴力事件でプロ野球入りがヤバかった!
実は、新庄剛志さん、高校時代に暴力事件を起こしているんです。
しかも、阪神へプロ入りが決まっていた高校卒業間近のことでした。
期末テストの時、クラスの女子がテストが終わったので、答案用紙の裏に絵を描いていました。
女の子は、テストが終わって時間があまったので、暇つぶしに絵を描いていただけでしたが、発見した教師は女子を叱りました。
新庄剛志さんは
全部問題を解き終わっているんだから、絵を描いてもいいじゃないですか
と先生に抗議しましたが
お前には関係ない!
と言われ、新庄剛志さんは、先生に手を出してしましました。
校長先生に
高校の恥。
プロへは行かせられない。
父親を呼びなさい。
と言われ、新庄剛志さんはプロ入りを断念せざるを得ない状況でした。
その時広島で仕事をしていた英敏さんは、急いで新庄剛志さんの元へやってきました。
英敏さんは、新庄剛志さんに先生を殴った理由を聞きませんでした。
その時、新庄剛志さんがかばった女子がやってきて、新庄剛志さんが先生に手を挙げた理由を説明してくれたんです。
理由を聞いた英敏さんは
剛志、プロ野球に行かんでいい。
お前は間違っとらん。
といって、出て行ったそうです。
新庄剛志さんは、女子生徒をかばうために先生に手をあげたことが分かり、校長も新庄剛志さんに理解を示します。
反省の意味を込めて、校長は新庄剛志さんに五厘にするように言い、新庄剛志さんはプロ入りを許可されました。
詳しくは、こちらの動画をご覧ください。
まとめ
新庄剛志さんの生い立ちをご紹介しました!
ど派手なパフォーマンスでチャラいイメージのある新庄剛志さんですが、
小さい頃は貧乏の中で、必死に努力をしてきたことが分かりました!
新庄剛志さんは、努力しているところを見せないところがカッコいいですよね!
2022年から日本ハムファイターズの監督を務める新庄剛志さん。
どんな新庄劇場が見られるのか、楽しみですね!
新庄剛志さんは一度結婚をしていますが、お子さんがいないんですね。
新庄剛志さんのお子さんがいない理由を調べました。

新庄剛志さんの顔が変わりすぎている件もご紹介しますw
