2021年、ショパン国際コンクールで第2位に輝いた、反田恭平さん。
ショパン国際コンクールで、日本人が2位を獲得するのは、50年ぶりの快挙なんです!
そんな偉業を成し遂げた反田恭平さん。
幼少期はどんな風に過ごされたのでしょうか?
ピアノ漬けの毎日かと思いきや、子供のころはサッカー少年だったんです!
今回は、そんな反田恭平さんの一風変わった生い立ちをご紹介します!
目次
反田恭平の生い立ち!
反田恭平さんは、1994年9月1日に生まれました。
反田恭平さんが生まれた時は、逆子で心肺停止の状態でした。
そのため、
僕は一度死んでいる
と、良く反田恭平さんはインタビューで語っていますね。
反田恭平さんの家庭は、ごく一般的な家庭です。
父の憲秀さんはサラリーマンをしていて、母の真紀子さんが趣味でエレクトーンを弾く程度でした。
反田恭平さんは小さいころからよく動く子で、包丁を投げつけたりするような子だったそうです。
そのため、母の真紀子さんは、よく動き回る反田恭平さんをサッカーチームに入れました。
反田恭平さんは、それからサッカーに打ち込むことになります。
通っていたピアノ教室はヤマハ・一音会
反田恭平さんがピアノを始めたのは、4歳のころです。
反田恭平さんは4歳の時に、名古屋のヤマハ音楽学校に通い、半年後に父の転勤に伴い東京に引っ越し。
東京で、絶対音感を身につける名門「一音会ミュージックスクール」に通い出します。
反田恭平さんは耳が良く、母の真紀子さんがエレクトーンで演奏した曲を瞬時に弾けるほどでした。
反田恭平の小学生時代!小林愛美とは幼馴染
反田恭平さんはピアノを習っていましたが、小学生の頃に打ち込んでいたのはサッカーでした。
サッカーはおむつをしているときからはじめたのですが、一人で弾くピアノの孤独さより、サッカーのほうが友達もできるし、集団で一つのことができるのでより面白くなって。
引用:BARKS
反田恭平さんはサッカーも上手で、ほぼ毎試合フル出場をするほど。
小学生の頃の反田恭平さん、運動会の応援団長をしたり、活発な子だったんですね!
しかし、小学5年生の11歳の時、サッカーの試合で右手首を骨折。
骨折のトラウマから、反田恭平さんはサッカーに打ち込むことをやめました。
小林愛美とは小学生からの幼馴染
反田恭平さんは、同じくショパン国際コンクールで4位に輝いた「小林愛美」さんと小学生の頃からの幼馴染なんです。
8月14日,15日は幼なじみ、小林さん@aimi_piano のリサイタルにお邪魔して『シューベルト/幻想曲D940』を演奏します!
僕らの出会いはランドセル背負っていた頃からですが、公演で一緒に弾いたのは高校生の時の1度。10年弱の年月を経て、久しぶりに一緒に弾きます!是非来てね!https://t.co/sKtcLTQ4B8 pic.twitter.com/PEc9Uy6Q71— 反田恭平 Kyohei Sorita (@kyohei0901) August 12, 2021
すごい偶然ですよね!
反田恭平さんと小林愛美さんの出会いですが、調べてみると
桐朋学園大学音楽学部附属子供のための音楽教室「仙川教室」
で出会った可能性が高いですね。
- 2006年~ 反田恭平さん
- 2007年~ 小林愛美さん
が、それぞれ「仙川教室」に通っています。
また、2021年8月の奈良で開かれた小林愛美さんのコンサートで、反田恭平さんがゲスト出演した際に
お互いの家が近くて、ランドセルを背負っている頃からの知り合いで、家族ぐるみというか、小林さんの弟君が遊び仲間で、お互いの家を行ったり来たりして遊んでました。
ピアノに関しては、小林さんは雲の上の人みたいな感じだったというようなニュアンスのことを言ってました。
引用:ヤフー知恵袋
という情報がありました。
小林愛美さんは、山口県出身で小学5年生までは山口県の小学校に通っていましたが、6年生の時に東京へ引っ越しています。
小林愛美さんの引っ越しが場所が、反田恭平さんの家に近く、同じ「仙川教室」へ通っていたことから、家族ぐるみの付き合いになったんでしょう!
父はピアノに理解がなかった
反田恭平さんの家庭は、普通のサラリーマン家庭です。
父の憲秀さんは、反田恭平のピアノに反対していました。
反田恭平さんが「幻想即興曲」を弾くと
なんだ、この汚い曲は!
と言われたそうです。
しかし、父・憲秀さんの反対があったからこそ、反田恭平さんは
父に認めさせてやる!
と、ますますピアノに打ち込むことになります。
反田恭平の中学時代
反田恭平さんはサッカーを辞めてから、ピアノに専念するようになりました。
ピアノに専念するようになったきっかけは、本物のオーケストラで指揮を体験したときにの感動からでした。
反田恭平さんは
- 小学6年生の時
- 中学1年生の時
2回ほど、本物のオーケストラを前に指揮を体験しています。
映画館よりも大きな音の出るオケを二度も振るのは、衝撃的な体験でした。
この時にクラシックが好きだと確信しましたし、ピアノを本格的に学ぼうと思いました。
引用:highflyers
オーケストラに感動した反田恭平さんは、「ピアノの道を進む」ことを決めました。
しかし、音楽の道を反対していたのが、父の憲秀さん。
反田恭平さんが中学2年生の時に、
そんなに音楽高校に行きたいのなら、コンクールで1位を取って、その賞状を俺のところに持って来い
と憲秀さんに言われてしまいます。
そこで、反田恭平さんは片っ端からコンクールを受け、全て優勝するという偉業を達成してしまいます!
そして憲秀さんの了承を得て、音楽の名門高校「桐朋女子高等学校音楽科」に進学しています。
しかも、反田恭平さんは桐朋女子高等学校音楽科に奨学金で入学しているんです!
反田恭平の高校時代!若い頃はイケメン!
反田恭平さん、高校時代は痩せていたんですね!
そしてイケメンです!!
イケメンでピアノもうまいとくれば、かなりおモテになったのでは・・・
反田恭平さんが通った高校は、音楽の名門校「桐朋女子高等学校音楽科」です。
桐朋女子高等学校と、女子高の表記になっていますが、音楽科は共学です。
桐朋女子高等学校音楽家の卒業生には、
- 作曲家の羽田健太郎さん
- バイオリニストの高嶋ちさ子さん
が、いらっしゃいます。
高校3年生の時、反田恭平さんは偉業を成し遂げました!
若手音楽家の登竜門である「日本音楽コンクール」で優勝したんです。
この「日本音楽コンクール」で優勝を飾った裏にも、父・憲秀さんとのひと悶着がありました。
普通の大学に進学するならまだしも、音楽大学には行かせない
と、反田恭平さんの音楽大学進学に、憲秀さんは反対したんです。
しかし反田恭平さんは、日本で一番歴史がある「日本音楽コンクール」で優勝することで、憲秀さんを納得させてしまいました!
憲秀さんが、反田恭平さんの音楽に反対するには、理由がありました。
音楽学校は、普通の学校と違ってお金がかかります。
有名な講師に習うだけで、1時間数万円はザラです。
反田恭平さんは高校の音楽科に進学すると、周りに裕福な家庭が多いことに気が付きました。
同級生たちが音楽ホールを貸し切って練習していた中、反田恭平さんは自分の部屋で電子ピアノで練習してきたというエピソードもあります。
憲秀さんは、反田恭平さんのピアノの道を応援したかったでしょうが、金銭的な面から素直に応援できないところもあったんでしょうね。
反田恭平は桐朋学園大学→ロシアへ留学
反田恭平さんは、特待生として桐朋学園大学に入学します。
そしてその年の9月に、 ミハイル・ヴォスクレセンスキーさんの推薦でロシア「モスクワ音楽院」へ留学します。
しかも反田恭平さんは、モスクワ音楽院に日本人初の最高得点の首席で入学しているんです!
本来3曲披露する入学試験ですが、反田恭平さんが2曲弾いたところで審査員がざわつきはじめ、なんと2曲披露して主席合格してしまったんです。
反田恭平さん、すごすぎます。笑
まとめ
反田恭平さんの生い立ちを見てきました。
反田恭平さんは父に反対されながらも、何とか認めてもらおうとピアノに打ち込んできました。
音楽を志すうえで、決して恵まれた環境ではなかった、反田恭平さん。
反田恭平さんの強い意志と行動力が、ショパン国際コンクールの入賞に繋がったんですね!
