菅義偉首相には、3人の子供がいます。
その長男である菅正剛さんは、映画制作や配給で有名な「東北新社」に勤務しているようです。
そして、「キマグレン」とバンドを組んでいたという情報が!
今回は「菅義偉首相の長男(菅正剛)は東北新社勤務!明治学院でキマグレンとバンド?」についてお届けします。
目次
菅正剛は、菅義偉首相の長男
菅義偉首相と真理子夫人の間には、3人の子供がいます。
そのうち、菅正剛(すが せいごう)さんは一番上の長男になります。
- 名前:菅正剛(すが せいごう)
- 生年月日:1981年生まれ
- 年齢:2021年で40歳
- 最終学歴:明治学院大学
菅正剛の大学は明治学院大学
菅正剛さんは、明治学院大学出身です。
ご長男は?
菅 明治学院です。
引用:yahooニュース
さすが菅義偉首相の息子さん、頭が良いんですね!
菅正剛さんは、中学生から、偏差値70の超難関校に通っていました。
小さいころから頭が良かったんですね。

菅正剛の年齢は?
当時6カ月、3歳、6歳の3人の息子を抱えて、戸別訪問などで陰ながら菅氏を支えてきたのが真理子夫人だ。
引用:yahooニュース
報道によると、菅義偉首相が初めて選挙に当選した時、真理子夫人との間にすでに子供が3人(6か月、3歳、6歳)いたようですね。
菅義偉首相が、神奈川県・横浜市会議員選挙に出馬して初当選したのが1987年です。
その時に、長男の菅正剛さんは6歳ですので、現在の年齢は40歳になりますね。
菅正剛は「東北新社」勤務
菅正剛さんは、一時期「議員秘書」をしていたので、父親の菅義偉首相と同じ政治の道を歩むかと思われましたが、一般企業に勤務していました。
菅正剛さんが勤務している会社は「東北新社」です。
東京都港区赤坂に本社を置く、映画製作・配給、海外テレビ映画の輸入配給などを行う会社。
外国映画の日本語版制作が有名で、国内最大手。
「東北新社」という社名は、創業者の植村伴次郎(現最高顧問)が秋田県出身であることが由来。
菅正剛は東北新社の部長&取締役
菅正剛さんは、メディア事業部の趣味・エンタメコミュニティ統括部長で、東北新社グループの株式会社囲碁将棋チャンネルの取締役も兼務しています。
40歳ながら、グループ会社の取締役をしているとはすごいですね。
1981年生まれの菅正剛さんが明治学院大学に現役合格しているのであれば、卒業は2004年ですね。
菅正剛さんは、2004年から4年経った2008年に東北新社へ入社しています。
新卒ではない菅正剛さんが、新卒から4年後に大手の「東北新社」に入社できた理由は、もしかしたら父親の菅義偉首相の助けがあったのかもしれません。
というのも、東北新社の創業者植村伴次郎さんの出身は秋田県で、菅義偉首相の出身も同じく秋田県だからです。
菅正剛さんが東北新社へ入社する際は、菅義偉首相が口利きをしてくれたのかもしれませんね。
菅正剛は東北新社へ入社前は何をしていた?
明治大学卒業後から東北新社へ入社するまでの4年間の間、菅正剛さんは何をしていたのでしょう?
実は、菅正剛さんは
- バンドでプロを目指していた
- 議員秘書をしていた
ことが、週刊誌で報じられています。
引用:「エーッ!! 世襲制限の急先鋒
自民・菅義偉議員が息子を総務大臣秘書官にしていた!?」
(『週刊プレイボーイ』No.25/2009年6月8日発売号)
①2004~2006年 キマグレンとバンドでデビューを目指していた?
菅義偉首相が言うには、菅正剛さんはバンドをやっていたそうです。
その名も「キマグレン」です。
キマグレンは、2005年5月に結成。
2007年に発表した曲「LIFE」が大ヒットし、2008年には紅白歌合戦に出場しています。
キマグレンは、ISEKIさんとKUREIさんのユニットです。
ISEKIさんは菅正剛さんと同じ明治学院大学出身ですので、菅正剛さんはISEKIさんといっしょにバンドをやっていたのかもしれません。
ふくちゃん
ただ、キマグレンとして一緒に活動していたという記録はありませんでした。
キマグレンが結成された時、ISEKIさんは他のバンドをやっていたそうなので、もしかしたらそのバンドに菅正剛さんが所属していたのかもしれません。
そして、キマグレンが売れてきた2006年頃、ISEKIさんはキマグレン一本でやっていくことを決め、菅正剛さんとやっていたバンドは解散になったのではないかと思います。
追記
菅正剛さんとISEKIさんは「COTE-DOR」というバンドを組んでいたと2021年2月21日の週刊文春で報道されました。
地元横浜で生まれた正剛氏は明治学院大に進学後、「世界民族音楽研究会」に所属。音楽ユニット「キマグレン」の元メンバーと共に、「COTE-DOR」というバンドを組んで活躍。
引用:週刊文春
②2006~2007年 議員秘書
菅正剛さんは、2006年から2007年の約9か月、総務大臣秘書官を務めていました。
総務大臣秘書官なんて、バンドマンがなれる職業ではないですよね。
菅義偉首相の口利きでしょう。
ただ、菅正剛さんは9か月という短い期間で総務大臣秘書官を辞めています。
菅正剛さんが秘書を辞めた理由は、そもそも政治家になる予定ではなかったからです。
菅義偉首相が長男の菅正剛さんを秘書にした理由は、
- プラプラしていた
- 選挙の間だけの手伝い
ということでした。
もともと菅義偉首相は、議員の世襲制に反対でした。
そのため、菅正剛さんが秘書をしていたのは議員になるためではなく、一般企業へ就職する前のお手伝いだったのかもしれません。
