俳優の山田裕貴さんの父親をご存じでしょうか?
なんと、山田裕貴さんの父親は、元プロ野球選手の山田和利さんだったんです!
山田裕貴さんの父・和利さんは一体どんな選手だったのでしょうか?
今回は山田裕貴さんの父、山田和利さんのプロ野球時代のことについて、また山田裕貴さんと和利さんのエピソードをご紹介します!
山田裕貴の父・和利は元プロ野球選手!
山田裕貴さんの父は、元プロ野球選手の山田和利さんです。
- 名前:山田和利
- 生年月日:1965年6月3日
- 年齢:55歳(2021年5月現在)
- 出身地:愛知県名古屋市中村区
- ポジション:内野手
- プロ入り:1983年ドラフト4位
ドラフト4位で中日ドラゴンズへ
山田和利さんは、野球の名門校「東邦高等学校」の野球部のキャプテンでした。
山田和利さんが東邦高校に在籍していた時は甲子園の出場はありませんでしたが、
- 100メートルを11秒台で走る俊足
- 野球部のキャプテンをつとめた人柄
が評価され、
地元、中日ドラゴンズからドラフト4位指名をされ、プロ野球入りを果たします。
中日ドラゴンズ時代
山田和利さんは、ドラフト4位で中日ドラゴンズに入団しましたが、いきなり試合出場とはいきませんでした。
身体作りからスタートしたため、2年間一軍の出場はゼロです。
3年目の1986年、代打としてプロ初出場を果たしますが、1986年はその一打席しかマウンドに立てませんでした。
そんな山田和利さんの才能が開花したのが、1988年です。
1988年には山田和利さんは82試合に参加。
様々なポジションを守るユーティリティープレイヤーとしての地位を確立します。
打席でも得意の俊足を生かし、チームトップの三塁打、10盗塁を成し遂げました。
中日ドラゴンズはこの年、優勝を飾りました。
広島カープに移籍し、強打者として活躍
1990年、山田和利さんは、広島カープに移籍することが決まりました。
広島カープで山田和利さんは、強打の内野手になります。
1995年には94試合に出場し、打率.270、12本塁打、53打点と活躍し、広島カープの順位「2位」に貢献しました。
コーチとして活躍
1996年山田和利さんは、中日ドラゴンズに復帰が決まりますが、ケガが原因で1軍出場ゼロに終わり、引退を決意。
その後、指導者としての道を目指します。
山田和利さんは、中日ドラゴンズのコーチとして1999年、2004年とチームの優勝に貢献しました。
2011年には、広島のコーチ、球団編成を務め、2015年から再びコーチとして活躍しています。
そして2017年、山田和利さんは26年ぶり広島カープの優勝に貢献しました。
山田裕貴と父・和利の親子エピソード
偉大なプロ野球選手を持つ、山田裕貴さん。
山田裕貴さんと父・和利さんの仲は良かったのでしょうか?
野球を教えてもらわなかった
山田裕貴さんは、父・和利さんの影響で、幼少期から野球を始めます。
しかし、山田裕貴さんは、和利さんから一度も野球を教えてもらったことはありませんでした。
山田裕貴さんは、和利さんとキャッチボールもしたことがないんだとか。
父がプロ野球選手じゃなくても、親子でキャッチボールは誰もが経験しそうなことですよね。
山田裕貴さんによると
一切野球の話はできなくて。
自分も野球やっちゃうと父がライバルのような感覚になる
キャッチボールもぜんぜんしたことない。
教えてもらったことがないんです。
普通の話も出来ないし、遠かった
と、和利さんとの微妙な関係を告白しています。
山田裕貴さんが小学生の頃、ちょうど山田和利さんは広島カープで頑張っていた時ですね。
プロ野球はいろいろな場所で試合をするので、山田裕貴さんとの親子の時間がとれなかったのかもしれませんね。
今では山田裕貴のファンw
子供の頃は、親子の関係が微妙だった山田裕貴さん。
今では、山田裕貴さんの作品を映画館に見にいってくれるファンになりました!
父は『HiGH&LOW THE MOVIE 3』を観賞し、「ハイロー、ファイナル!!マーク最高!!マークみなさんの台詞が今の時代に、ささる台詞ばかりで感動!!」とLINEが来た
26年ぶりカープ親子優勝おめでとうと同時に親父おめでとうなので、家族LINEが盛り上がりテレビ電話した。
父は、ぼく明日、ニドナツ、トモダチゲームの青春系映画に劇場へひとりで行ったらしく。
ハイローにも激ハマり。
ちょっとしたファンになってくれている。喋りづらかった昔が嘘のようだ(笑)
山田和利さんは、山田裕貴さんのことを応援してくれているんですね!
山田和利さんのLINEの文章がお茶目ですw
仲が良くなって、何よりです。
山田裕貴が父の背番号で夢の始球式へ
▲父・和利さんが優勝時につけていた背番号30を着る山田裕貴
そんな山田裕貴さんですが、2018年8月10日ナゴヤドームで「中日ドラゴンズVSヤクルトスワローズ」の始球式に参加しました。
山田裕貴さんは、父の影響で野球の道を志すも、道半ばで挫折し俳優業に進みます。
山田裕貴さんにとって、野球は人生で最大の挫折でした。
そして、いつか俳優として始球式でマウンドに立つことが夢でした。
自分にとって野球は、人生の中で1番引っ掛かりで、自分の可能性に自分で蓋をした、最大の挫折であり、自分の弱さを突きつけられたモノでした。
だからこそ、次決めたことは死ぬまでやり遂げようと決めたのがこの”俳優”という仕事。
野球場という神聖な場所に、野球を諦めたからこそ、いつか俳優として始球式という形で戻ってこれたらと夢を見ていました。
引用:山田裕貴Twitter
山田裕貴さんは、13年のブランクがあるので100球以上投げ込んで始球式にのぞみました!
山田裕貴さんの力投がコチラです。
投球後、山田裕貴さんは涙ながらに
親父の背中を追いかけていた頃を思い出しました
とインタビューに答えました。
山田裕貴さんは、父・和利さんのようにビッグになっていきそうですね!